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福岡高等裁判所 昭和26年(う)3013号 判決

控訴人 原審検察官

被告人 緒方喜一 外三名

検察官 宮井親造関与

主文

原判決中被告人等関係部分を破棄する。

被告人緒方喜一を懲役参年六月に、同伊東秀男を懲役弐年に、同中村稔、同住木嘉三郎を各懲役弐年六月に処する。

原審における未決勾留日数中、被告人緒方喜一、同伊東秀男、同中村稔に対し、各百弐拾日を、同住木嘉三郎に対し百拾日をいずれも、右本刑に算入する。

訴訟費用中、原審における国選弁護人今長高雄、同大和勝栄に支給した分は被告人緒方喜一、同伊東秀男、同住木嘉三郎の、原審証人野上重享に支給した分は、被告人等四名並びに原審相被告人田中篤の各負担とし、当審における国選弁護人山本貞義に支給した分は、被告人等の負担とする。

理由

検察官宮井親造の控訴趣意は、記録に編綴されている原審検察官塩田末子提出の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

控訴趣旨について

記録によると被告人等に対する起訴状記載の訴因たる公訴事実は原判示第一の(一)、第三及び第五の(二)の事実を除くその余の各事実において、被告人等が単独又は共謀で各判示日時場所で、門司市長の管理にかかる水道鉛管を金切鋸で切り取つて、同鉛管、口金又は量水器等を窃取するとともに、公衆の飲料に供する浄水の水道を損壊したものであるというのに対し、原判決は、右の公訴事実中、ただ各窃盗の事実を認定しただけで、右窃盗罪と想像的競合犯の関係があるものとして起訴された刑法第百四十七条の水道損壊罪については、同条のいわゆる「公衆」とは、不特定、又は「多衆人」と解するのが最も妥当であるところ、被告人等によつて破壊された水道鉛管、口金、水量器はいずれも、各家庭の専用又は数家庭の共用として使用されるもので、使用者が特定しているばかりでなく、その設備、使用の人数、その使用方法、態様、使用される水道の位置その他諸般の事情からみて、多衆人の使用に供する水道と認めるに足るべき資料がないので、結局、犯罪の証明がないものとして無罪の認定をしていることが認められる。

案ずるに刑法第百四十二条乃至第百四十七条の飲料水に関する罪は公衆衛生の見地から人の健康を保持するために設けられた罰則に外ならないから、同法第百四十七条にいわゆる「公衆の飲料の用に供する浄水」とは広く不特定又は多数人の飲料の用に供する浄水と解するのが相当である。そして苟も、住民に対する飲料水の供給用としての浄水の水道設備である以上、たといそれが一世帯の専用又は数世帯の共用のために引用敷設されたものであるにせよ、それは広く不特定又は多数人の飲料を供給する浄水の水道ということができるから、その水道設備の一部を毀損して、一時的にも飲料水の清潔とその完全使用を阻害したときは、いわゆる公衆の飲料の用に供する浄水の水道を損壊したものといわねばならぬ。

原判決のあげている各証拠によると、本件において被告人等が金切鋸で切り取つて窃取したものは、いずれも門司市が市民に飲料水の供給用として設備した浄水の水道の一世帯専用又は数世帯共用の水道鉛管であつて、一世帯専用のものでも、その世帯を構成する者は普通数名以上であり、その大多数の被害水道はいずれも二世帯乃至十世帯共用のものであつて、しかもその使用が当該世帯内の者のみに限られてもいないし、又被告人等が被害者の住宅内又はその附近の道路に敷設されていた本件鉛管が一米位から長いのは二十米も切断した結果、殆んどすべての場合、水道の浄水は道路上に噴出して附近一帯は相当長時間に亘つて洪水のようになつていたので、たとい被告人等が切断したものが給水設備の末端のものであつたにせよ、これによつて生じた部分的の噴水、その他の事故はこれと直結している配水本管、送水本管を流通する全体の水量に影響し、その衛生保持にも重大な脅威を取ぼしたことが明らかであるから、本件水道鉛管、同口金、等は浄水の水道の一部を構成していたものということができる。してみれば被告人等の本件各所為は、一面窃盗罪にあたるとともに他面いわゆる公衆の飲料の用に供する浄水の水道を損壊した罪にあたるものであることが明白であるから、原判決が冐頭掲記のような理由によつて、被告人等の本件各所為を以て窃盗罪のみを構成するものとなし、水道損壊罪について、その犯罪の証明がないものとして、無罪の認定をしたのは法律の解釈を誤つた結果、法令の適用を誤つたもので、その誤が原判決に影響を及ぼすことが明白であるから、原判決は刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十条に則り、破棄を免れない。論旨は理由がある。

そして当裁判所は、本件記録及び原裁判所において取調べた証拠によつて直ちに判決することができるものと認めるので、刑事訴訟法第四百条但書に従い、本件につき更に判決をすることとする。

当裁判所の認定したる事実並びに証拠は原判示第一の二、第二、第四及び第五の一の各事実(以上、いずれも水道鉛管の切取りにかかる分全部)の末尾に、「切り取り各窃取し」とあるのを「切り取り窃取するとともに公衆の飲料の用に供する浄水の水道を損壊し」と訂正する外、第一審判決の事実(被告人緒方喜一、同伊東秀男の前科事実をも含む)並びに証拠と全く同一であるからこれを引用する。

法令の適用。

一、判示第一の一、第三、第五の二、の各事実につき、刑法第二百三十五条(共謀の点につき、刑法第六十条)

一、判示第一の二、第二、第四、第五の一の各事実につき、刑法第二百三十五条、第百四十七条(共謀の点につき、第六十条)、第五十四条第一項前段第十条

一、被告人緒方、同伊東の前科の点につき、刑法第五十六条第一項、第五十七条、第五十九条

一、以上につき刑法第四十五条前段、第四十七条、第十条、被告人緒方、同伊東につき更に第十四条

一、未決勾留日数の算入につき、刑法第二十一条

一、訴訟費用の負担につき、刑事訴訟法第百八十一条第一項

(裁判長裁判官 白石亀 裁判官 後藤師郎 裁判官 大曲壮次郎)

検察官検事塩田末平の控訴趣意

原判決は刑法第百四十七条の解釈を誤り且重大な事実の誤認を為して適用すべき法令を適用しなかつた失当の判決であると思料する。

第一、原判決はその判示第一の一、第三及び第五の二を除くその余の判示事実において被告人緒方喜一同伊東秀男同中村稔及び同住木嘉三郎等が単独又は共謀にて判示日時場所において門司市長の管理する水道鉛管、水道口金又は量水器等を窃取した事実は何れも之を起訴状通り有罪に認定したにも拘らず右窃盗と所謂一所為数法の関係において起訴された水道損壊の点については結局犯罪の証明なしとの理由を以て無罪とした。而してその理由として判示するところは、右水道損壊が刑法第百四十七条所定の水道損壊の罪を構成する為めには、(1) 先ず損壊せられた鉛管、口金又は量水器等が同条に定むる「浄水の水道」に属するものであること、及び、(2) その水道が同条に所謂「公衆の飲料に供する」ものであることを必要とするが右(1) の点は暫く措くとするも右(2) 点と「公衆」とは同法第百四十四条に人の飲料に供する浄水とあるその「人」とは其の語義を異にし後者が普通の意味における不特定又は多数の人でさえあればそれで大分であるに対して、前者の「公衆」はその文字の用法より考えてもより広範な公衆性を具備した場合を指称するものとしなければならないから、不特定人の場合は免も角としてその以外は必ず多衆人と云い得る程度に達していることを必要とする。而して多衆人の場合とは右に多数人と云うのとは稍々趣を異にし二人以上の場合であつても必ずしも多衆人とは称し難く、果して如何なる程度、範囲に達すればここに云う多衆即ち公衆の飲用に供する水道と云い得るかについてはこれを使用する者の人数はもとよりその使用方法、その態様、使用される水道の位置その他諸般の事情を斟酌して之を定むべきである。ところが本件損壊せられた水道鉛管類は何れも各家庭又は数家庭の共用としてその住宅附近に取付けられ然も各家庭の専用又は数家庭の共同用として使用される程度であつて、之を使用する人の範囲は各家庭の家族に限られ何れも特定されているのであるから右に所謂不特定者の飲料に供せられる水道とは云い得ないし又原審に於て明かにされたその設備、使用の人数、その使用方法、態様、その位置等諸般の事情を斟酌しても到底之を右に所謂多衆人の使用に供する水道と認定し得るに足らないので畢竟犯罪の証明なしとして無罪とすると謂うにある。

第二、然し原判決の右無罪理由は刑法第百四十七条の規定を余りに狭義に解釈し且つ重大な事実の誤認を犯して適用すべき同条の規定を適用しなかつた不当の判決と思料する。即ち

(一)先ず本件水道の鉛管、口金、又は量水器等が事実上一世帯の専用又は数世帯の共用として使用されるのを原則建前とするものであることは特別争いの存しないところであるが、だからといつてこれ等の使用が厳密にその家族に限られ特定されていると断定し得るものではない。これ等一世帯又は数世帯の業務上又は個人的関係からの来客、使用人又はその近隣の者や附近通行人其の他不特定多数人の飲用に供せられることも亦当然予想せられるところである。現に判示事実第二の一の(五)の被害者日本通運株式会社門司支店においては其の水道は常時五十名位の仲仕人夫、馬車輓等の飲料用に使用されて居たものであることは検察官提出の証拠第七二号の同支店長提出の盗難届により明かであり、又判示事実第二の一の(十二)の被害者長崎義雄方及び同第四の一の(十五)の被害者三浦義雄方は何れも外科医院であり同第二の一の(二十)の被害者猪原国敏方は天理教会であつて之れ等被害者方の水道設備に夫々これに出入する不特定多数の患者又は信者等によつて飲料用に使用されて居たものと推察される。(検察官提出の証拠第四九号、第一六三号及び第七七号参照)尚又本件においては偶々その例を発見し得なかつたが多数被害者の中に食堂又は料理飲食店等が存在していたとすれば之に対しては如何なる判断を下されるのであろうか、原裁判所と雖も之に対しては不特定人の飲用に供するものとして積極の認定を下したであろろうことは明かである、この点より論じても本件水道設備は当然不特定人の飲用に供せられるものとして右法条に所謂公衆用水道と認定し得るに十分と思料される。

(二)飜つて条文の字句について考えるに刑法第百四十七条の「公衆」なる字句を同法第百四十四条に所謂「人」と殊更に違つた意味に解釈して之に特別高度の公衆性、多衆性を附与しなければならない必要が何処に存するのであろうか疑いなきを得ない。

元来刑法第百四十二条以下第百四十七条までの飲料水に関する罪は公衆衛生の見地において人の健康を保持する為め設けられた罰則に外ならないのであるから第百四十二条又は第百四十四条に夫々人の飲料に供する浄水とあるその「人」とは刑法第百八条放火罪等の人が犯人以外の人即ち他人を意味しそれが唯の一人であつてもよいのと相違して不特定又は多数の人を意味するものと解すべきであること(昭和八年六月五日旧大審院判例)は理の当然であるが、さればと云つて更に数歩を進めて第百四十六条又は第百四十七条に掲ぐる所謂「公衆」なる字句に右不特定又は多数の人と謂う普通の意義を超えて一般と強い特別の意味を持たしめねばならぬ必要があるのであろうか。共に公衆衛生の立場より人の健康を保持する為めに設けられた罰則である以上、字句の上においては一は人とし他は公衆とし其の間多少の相違はあるとしてもその用語の相違たるや第百四十七条に所謂「浄水の水道」が浄水をその清潔を保持して一定の地点に導く人工的設備たることをその本質とするものである。(昭和七年三月三十一日旧大審院判例参照)その建前上当然公衆用たることを予定しており、その為め言葉の綾として特に公衆用なる字句を使つたのによるものと解せられ結局右第百四十七条の「公衆」も第百四十四条の「人」も共に不特定又は多数の人を指すものと解してその間特別の不都合を生じないものと考えるのである。

ここに注意せらるべきは刑法の放火、失火及び溢水等の各罪の規定において右「公衆」に類似する用語として「公共」と謂う字句が公共の危険なる用語の下に使用されていることである。この「公共」の観念については判例は「刑法第百十六条第二項に所謂公共の危険を生ぜしめたるとは火を失して自己の所有にかかる第百九条の物又は自己若くは他人の所有に属する第百十条の物を焼燬し、因りて第百八条及び第百九条の物に延焼せむとしその他一般不定の多数人をして生命身体、及び財産に対して危険を感ぜしめるにつき相当の理由を有する状態を発生せしめたることを謂うものとす」(大正五年九月十八日旧大審院判例)とし又「溢水せしめその結果第百十九条に規定する物件に波及して不特定の多数人をしてその生命、身体、財産に付危険を感ぜしむべき状態を謂ふ」(明治四十四年六月二十二日旧大審院判例)としているのであるが之に対しては有力な反対説がありその説によれば刑法に於ける公共の危険とは不特定又は多数の人の生命身体又は財産に対し実害を生ぜしむる虞ある状態を謂うとされており、それが通説となつている(斎藤金作教授刑法各論四十三頁、牧野博士刑法研究第二巻二三二頁、木村教授刑法各論二〇六頁、草野教授刑事判例研究第五巻三〇八頁等参照)ことは最も注意を要するところであつて結局「公共」も「公衆」もともに不特定又は多数の人を指称するものと解するのが最も妥当な解釈であると信ずる。若しあくまで原判決の如く本条の公衆が所謂多数人とは相違して多衆人を意味するものとせばこの両者区別の標準を何処に置き如何なる程度、範囲に達したものを多衆乃ち公衆と為し然らざるものを多衆ならざる多数と判ずべきか実務上その取捨選択に迷うこと必定であると考える。

(三)尤もこの点につき原判決は「二人以上の場合であつても必ずしも多衆人とは称し難く多衆人なりや否やは水道を使用する者の数はもとよりその使用方法、態様、水道の位置その他諸般の事情を斟酌して之を定めなければならない」と判示しているのであるがこれを本件の事実につき検討して見るに一世帯専用のものでもその世帯を構成する人の数は普通数名以上であり特に被害者日本通運株式会社門司支店に於てはその水道使用者が前記の通り常時五十名位であつたこと更に判示事実中第一ノ二ノ(二)乃至(六)、第二ノ一ノ(九)(十一)(十三)(十四)(二十)(二十一)(二十三)乃至(二十五)(二十七)(三十一)、第二ノ二ノ(二)(五)(六)(八)、第四ノ一ノ(七)乃至(十一)及(十九)乃至(二十一)、第五ノ一ノ(一)乃至(三)(五)及(八)の合計三十三の被害水道が何れも二世帯乃至十世帯共用のものであつたことも原判決引用の各盗難届により明かであり最高十世帯共用のもの(検察官側証拠第四十四号参照)を考えると一世帯平均五名としても実に五十人の多数となる。更にこれに前記の通り来客使用人等の不時に来つてこれを使用する者を加えるならば夫々裕に数十人を超すのであつて公共危険に関する前記判例に所謂一般不定の多数人に関する場合に該当するは勿論、原判決の強く主張する所謂多衆乃ち公衆に関する場合に該当せしめてその間何等の不都合も存しないものと謂わざるを得ない。

(四)次に本条に所謂水道が飲料水乃ち浄水の水道であることを要し下水道又は発電用の水道の如きは之を含まないことは論を要しないところであるが、その浄水の水道と謂うには送水本管、配水本管の如き基本的鉄管のみに限らず瀘過器等に至るまで水道設備に関する一切の機関を包含するものであることは学説の一致して認めるとるころである(大竹武七郎氏刑法綱要三七六頁、大場博士刑法各論二一〇頁参照)

本件鉛管口金又は量水器等は勿論門司市市営の浄水水道の一部をなすものであつて本条の規定する罪の対象たる水道たるに何等欠くるところないものであるが更に深く此の点を検討するに本件被害の鉛管等は何れも被害者の住宅内又はその附近に敷設されていたものであつて之を金切鋸にて切断破壊することによつて殆ど総ての場合浄水は道路上に噴出したために附近一帯は相当長時間洪水の如くなつたことが原判決引用の各証拠により明かである。由来水道設備又は配電設備の如きは之をその機能なり組織の全体として統一的に考察する必要のあるものであつて如何に末端の設備、機械とは云えその破損その他の故障がその全体の機能なり組織に及ぼす影響はまことに重大なものがある。本件の如く配水設備の末端を切断した事案と云えども之によつて生じた部分的の噴水其の他の事故はこれと直結して配水本管、送水本管を流通する全体の水量なりその衛生保持に重大な悪影響を及ぼすものであることは論をまつまでもなく明かであつて、この点よりするも被告人等の所為が市民全体の飲料水確保とその衛生保持に重大な脅威を与えるものであることが肯定し得る。然らばこれ等破壊の鉛管類を以て右法文に所謂「公衆の飲料に供する浄水の水道」となすに何等欠くるところなしと信じて疑わない。

第三、以上の諸点より考察し本件公訴事実中水道損壊の点が刑法第百四十七条所定の罪に該当するものと認め得るに十分であり現に当福岡地方裁判所小倉支部に於ては別の部において原判決言渡直後の昭和二十六年七月二十五日本件と全く同種の事案である被告人溝部猛外二名に対する窃盗及び水道損壊被告事件につき窃盗の外に刑法第百四十七条の罪をも有罪と認定処断した例がある(該判決は同年八月九日全部確定此の判決は本件の処理に際しても十分参考とせらるべき価値ある判決と思料するのでその判決謄本を本趣意書の末尾に添付する)

それにも拘らず原判決が事茲に出でないで右水道損壊の点を無罪としたのは法文の字句の末梢に拘泥するの余り法の精神を没却し、為めに法の解釈を誤つて右罰則を余り狭義窮屈に解釈し且つ重大な事実の誤認を犯した結果適用すべき法令を適用しなかつた違法の判決であること明かであるので原判決を破棄し更に相当の裁判を仰ぐ次第である。

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